書籍『美容の科学』(晶文社) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 3月 26, 2024 本が出ます。美白やキメ、ハリの本質から、具体的なスキンケアの事例、そして避けるべきニセ美容の見分け方まで、化学の視点でトータルに解き明かします。「科学」とありますが、身近なコラムのように読みやすい構成になっていますので、ぜひ。FILTOMのウェブサイトでプレゼントキャンペーンもあります。https://www.filtom.com/424227/ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
ブルマ曲線と三角関数 10月 02, 2016 先日、家族と食事中に、突然、ブルマというものはもしかしたら着替えの覗きを防ぐための画期的なアイデアだったのではないか、と思いついた。 さっそく家族に話をすると賛同を得たので、もうすこし考えてみたところ、下のグラフのようなイメージにたどり着いた。 ある問題(女子の着替えの覗き)を解決する「ブルマ」という画期的なアイデアは、覗きの防止以外にも「スカートめくり防止」や「見せパン」といった副次的な価値も見出されることで、ある時から急速に市民権を得る。 その後、当初の目的(覗き防止)はいつしか忘れ去られ、 なぜブルマが存在するのかさえ分からなくなる が、優れたアイデアであるだけに、デザインだけは加速的に向上し、過剰な開発によって、しだいに目的とデザインが大幅に乖離し、ついにある段階で突然の崩壊に至る。 その流れを図式化したものが上の図だ。 このグラフを眺めていると、これはとんでもない示唆を含んでいるのではないか、と感じた。というのも、この曲線はまさしく三角関数の正接曲線だからだ。 通常、自然界(たとえば電磁波や交流電流)は正弦曲線の繰り返しで構成されている。 ところが、私たちの知的活動の繰り返しは、正接曲線に近い。 アイデアはたいてい、下劣で過激な(きわめてマイナスな)レベルから発生する。そしてある「心地よいレベル(快適な乱雑さ)」を超えても、私たちの制御したい意識を無視して、さらに開発は永遠に続けられる。原子力が好例かもしれない。 この正接曲線的な開発サイクルを、常に心地よいレベルに抑えるにはどうしたらいいのか、と思ったが、それは無理だということもよく分かる。なぜなら、このサイクル無くして、心地よいレベルを通過することはできないのだから。ブルマのように。 いや、一つだけ希望がある。それは一見永遠に続くかと思われるプラス側の開発(漸近線)が、実際にはきわめてマイナス側の開発の開始によって停止させられているということだ。 つまり、永遠に続くかと思われるプラス側の過剰な開発は、下劣で破壊的なアイデアによって停止できるということだ。 続きを読む
除夜の鐘と官能基 1月 03, 2018 除夜の鐘を聞きつつまとめた。「官能」について。 官能基という素晴らしい訳語がある。化学物質の特徴的な部位のことで、たとえばバニラの香りのバニリンは3つの官能基を持つ。上から、カルボニル基、メトキシ基、ヒドロキシル基で、それぞれ特徴的な機能性がある。 官能基は英語ではFunctional group。直訳で機能基。しかし官能基と名付けた日本の化学者の文学的センスはすばらしい。官能基は概ね「出ている」。機能性を持つのだから、出ている部位になるのは当然なんだけれど、この「出ている」ところ「官能基」のおもしろさがある。 除夜の鐘を聞きつつ、自分の官能基を見る。ち〇〇も出ている。そして女性のおっぱいも出ている。当然だろう、という声も聞こえてきそうだけれど、ならば問いたい。なぜ隠すのか。せっかく出ているものを、なぜまた隠すのか。おっぱいに至っては、中途半場に隠す。見えるか、見えないか、くらいに中途半端に隠す。バニリンはどの官能基も隠さない。いつでも反応できるように準備万端だ。しかし僕は官能基を隠している。 この、隠す、とか、しまう、という行為にも長年興味を感じずにいられなかった。私達はなぜ、「片付ける」のか。 辿り着いたのは、「使うべき時に使うため」ということ。官能基には「使うべき時」というものが前提としてあるのではないか。 有機化学でマスキング剤(阻害剤)というものがあって、使うべきでない官能基に結合させて、働かないようにすることができる。マスキング剤は体内にもある。隠すのも、片付けるのも、使うべき時にないものを隠し、あるいは守り、使うべき時に備えている。そうしないことが、「恥ずかしい」という心理につながっているのではないか。 知恵も「出す」と表現することに言葉の妙味を感じる。知恵も立派な機能だ。だから、出すべきでないときには、隠しておかなければならない。私たちの会話のほとんどは問題の解決ではなく、会話を楽しむこと自体が目的である。男性はここを勘違いしていると、多くの女性から指摘を受ける。 除夜の鐘は108の煩悩を消し去るために衝くと言うが、実はそうではない、とどこかのお坊様も考えているのではないか。それらは生きるために最も重要な官能であって消し去るなんてとんでもない。心得るべきは、出すべき時に出せ、ということ。出すべき時を誤り、機能性を... 続きを読む
パンツ泥棒 8月 11, 2016 パンツ泥棒はとても不思議な犯罪だ。大人として、男性として、ヒトとして、最低の犯罪であるにも関わらず、そこに人間の実に生々しい「知恵と勇気」が見て取れる。以下は一考察。 知恵とは、見えない価値のことである。 勇気とは、見えない可能性を信じる意思のことである。 パンツ泥棒ほど、知恵と勇気を駆使した犯罪はない。 そもそもパンツ泥棒たち自身、深く考えたことはあるのだろうか。 自分たちがいったいどのような価値のために、大きすぎるリスクを冒しているのか。 その価値は逮捕投獄というリスクに見合うのか。 見合わなければ行動に移すわけはないので、そこには相応の価値を感じているはずだ。 しかしそれは本当にパンツなのか? たぶんパンツに関係していることは間違いないのだろう。 しかしおそらく、物質的なパンツが目的ではない、と思われる。 なぜなら誰もが指摘するとおり、パンツなら100円で売っているのだから。 では、パンツの使用履歴から想像できる妄想に価値を見出すのか。 そうだとして、はたしてそのイマジネーションはリスクと見合うものなのか。 そもそも、誰が使用していたのか分からないパンツを盗らなければできない妄想なのか。どうせ妄想するなら、100円で買ったパンツが使用済みであると妄想するところからはじめればよい。 しかしパンツ泥棒はパンツを盗り続ける。 なぜか。 ここであえて「パンツ」を忘れてみると、気が付くことがある。 つまり、盗る行為自体が目的になってしまっているのではないだろうか。 パンツを前提にするとどう考えてもリスクと見合わない。 しかし逆に盗る行為は、リスクが高まるほど、価値も高くなる。 たしかにパンツを盗りに行くまでは、パンツが目的だったに違いない。 しかしパンツを目の前にしたとき、目的の変換が起きるのではないか。 自分はこれを盗るだけの「知恵」があるのか。小さな可能性を試す「勇気」はあるのか。 それを試そうとする動物的な欲求が出るのは、狩猟本能を持つ男ならば自然なことだ。 目的はもはやパンツではない。パンツは自分の能力を試すための道具にすぎない。 脳は臨戦状態となり、アドレナリンやらなにやらが駆け巡る。 しかもスポーツのような容赦はない。 その極限の緊張状態が、さらなる盲目的な集中力を生み出す。潜在能... 続きを読む