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ふとんを干すとなぜ太陽の香りがするのか Why we can feel good smell from dried sheets under the sun?



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M博士から大変面白い話を聞いた。


ふとんを干すとなぜあったかくていい匂いがするのか。


原因は臭い成分の揮発、殺菌消毒、そして蒸発潜熱である。


まず太陽光、遠赤外線でふとん内部に含まれる臭い成分が揮発する。


さらに紫外線で殺菌消毒され、いやな臭いが除かれる。


つぎに水分も蒸発し、ふとんは乾燥する。


この時、ふとんが木綿や麻など天然のセルロースであることも重要である。


そして夜、布団に入ると、冷めているはずのふとんがなぜか暖かく感じ、ほんのりといい香りがする。


情緒的に表現すると、おひさまのにおいがする、という人もいる。


これはふとんが十分乾燥しているためにからだの水分が吸収され、その時に水分に含まれる蒸発潜熱が返ってくるからだ。


そしてほんのりといい匂いがするのは、それまで邪魔をしていた臭い成分が除かれたことでセルロース本来のなつかしい匂いを感じることができるようになるからだ。セルロースとはつまり植物である。


あえて言い換えると、水と植物のやさしさを感じているということになる。


(尺岳山頂)


 


I could hear an interesting story from Dr.M.


Why we can feel warm and good smell from sheets after drying under the sun.


Causes of them are volatilizing of volatile chemicals, sterilizing by ultra violet rays and evaporation latent heat.


First, chemical components of smell, mostly organic chemicals, are gone by sun light and far infrared rays.


Smells of bacteria or germs are also extinguished with volatilization of the ultra violet rays.


Next, water, moisture in short, vapors by sun light and sheets are dried.


And it is also important that the sheets are made with cellulose from nature.


At night of the day, when we get in the sheets, we can feel warm and good smell with the dried sheets which has been already cool down.


With emotional expressions, someone may say we can feel the tenderness of the sun.


In the cause of the dried sheets, water from our body is adsorbed to the sheets and the evaporation latent heat is come back to our body.


And we can also feel good smell of nature of cellulose because other bad smells of volatile chemicals or bacteria are gone.


The cellulose is the plants of the nature.


We can also say we are now able to feel the tenderness of water and plants of nature.


(Mt.Shaku)





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