橋本真里氏とアーユルヴェーダについて対談させていただきました。

縄文時代のほうが知能が高かった、とよく聞きますが、分業が進んだ今、それは仕方がないことだと思う。もし湿布を自分で作ろうとすれば、奥さんから「ドラッグストア行けば?」と諭されるか、あるいは実家に帰る準備をされるかもしれない。くらいに分業が当然になっている。
しかしもし縄文時代にタイムスリップして、どこかのやさしい村に保護され、その日から生活を共にすれば、まず翌日から襲ってくるのは筋肉痛に違いない。そこで登場する湿布は、自分よりも屈強に働いていた女性の手作りの湿布。やさしいまなざしで手作りの湿布を貼ってもらい、翌日凝りがほぐれていたら、朝日の中で感じるのは、感謝と、ほのかな敗北感だろう。
そうした、知能の高い科学的な思考をもった先人たちが工夫を重ねてきたのが民間療法の本当の姿だから、伝承するにも同じ科学的な視点と能力が必要だし、そうでなければ誤訳も起きやすい。誤訳の結果が、おどろおどろしいまじないのイメージだ。

科学に立脚した「アーユルヴェーダ」におまじないの香りはしない。C6トーク「橋本真里氏」


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