先日、家族と食事中に、突然、ブルマというものはもしかしたら着替えの覗きを防ぐための画期的なアイデアだったのではないか、と思いついた。 さっそく家族に話をすると賛同を得たので、もうすこし考えてみたところ、下のグラフのようなイメージにたどり着いた。 ある問題(女子の着替えの覗き)を解決する「ブルマ」という画期的なアイデアは、覗きの防止以外にも「スカートめくり防止」や「見せパン」といった副次的な価値も見出されることで、ある時から急速に市民権を得る。 その後、当初の目的(覗き防止)はいつしか忘れ去られ、 なぜブルマが存在するのかさえ分からなくなる が、優れたアイデアであるだけに、デザインだけは加速的に向上し、過剰な開発によって、しだいに目的とデザインが大幅に乖離し、ついにある段階で突然の崩壊に至る。 その流れを図式化したものが上の図だ。 このグラフを眺めていると、これはとんでもない示唆を含んでいるのではないか、と感じた。というのも、この曲線はまさしく三角関数の正接曲線だからだ。 通常、自然界(たとえば電磁波や交流電流)は正弦曲線の繰り返しで構成されている。 ところが、私たちの知的活動の繰り返しは、正接曲線に近い。 アイデアはたいてい、下劣で過激な(きわめてマイナスな)レベルから発生する。そしてある「心地よいレベル(快適な乱雑さ)」を超えても、私たちの制御したい意識を無視して、さらに開発は永遠に続けられる。原子力が好例かもしれない。 この正接曲線的な開発サイクルを、常に心地よいレベルに抑えるにはどうしたらいいのか、と思ったが、それは無理だということもよく分かる。なぜなら、このサイクル無くして、心地よいレベルを通過することはできないのだから。ブルマのように。 いや、一つだけ希望がある。それは一見永遠に続くかと思われるプラス側の開発(漸近線)が、実際にはきわめてマイナス側の開発の開始によって停止させられているということだ。 つまり、永遠に続くかと思われるプラス側の過剰な開発は、下劣で破壊的なアイデアによって停止できるということだ。