スキップしてメイン コンテンツに移動

telling「 自宅待機のストレス対策に動物性食品が欠かせない理由」

長期自宅待機を生き抜くために必要な栄養素考えました。
肉に「食らいつく」イメージがあるのは、追いかけないと手に入らなかったからだと思う。https://telling.asahi.com/article/13296033

構成・編集・イラスト:コヤナギユウ

https://telling.asahi.com/article/13296033


このブログの人気の投稿

なぜ雑巾は濡らすのか

ふきんや雑巾はなぜ濡らしてから使わなければならないのか。 二つの理由がある。 1.汚れを吸い取るため 水で濡らしたふきんや雑巾は、汚れを水で絡めとることができる。 2.汚れをさっと流すため 最初に水で濡らしたふきんや雑巾の繊維の表面は、薄い水の層でおおわれている。そのため、たとえ汚れがついても、水を含ませて絞ると、さっと流すことができる。 乾いたまま汚れをふき取った場合、それを濡らして絞っても、汚れがあまり取れない。それは水の層がなかったからだ。 実はこの原理、高度な膜分離にもそのまま当てはまる。 FILTOMのPD膜は、超親水性の「完全再生セルロース」でできている。 ふきんや雑巾、ティッシュと同じセルロース。 この世でもっとも親水性の高い材料がセルロース。 PD膜はまず純水で濡らしてから使う。どうせ処理液で濡れるので、わざわざ純水で濡らさなくてもよさそうですが、膜の表面に薄い純水の層を作ることで、処理液中の栄養成分が膜に吸着することを防ぐ。 しかもこの水の層、とても頑丈。 長時間使用しても水の層が壊れることはなく、処理液の栄養成分をそのままの状態、そのままの濃度で取り出すことができる。 最強の生物である植物が体の材料にセルロースを採用しているのは、こうした理由から。土から吸い上げた養分を、そのまま状態を保ちながら余すところなく体の隅々に運ぶため。 そして私たちも、セルロースほどではないけれど「リン脂質二重膜」という親水性の高い細胞膜を採用している。生体反応はすべて水溶液中で行われるため、親水性は水溶性の栄養成分を利用する上で欠かせない性質である。 FILTOMもこうした理由から、多くの膜素材の中で「完全再生セルロース」を採用している。

押し出しファイリング time-line filing

僕の毎日の仕事生活で特に役に立っているのが「押し出しファイリング」。   大学時に読んだ「超整理法」で知り、飛躍的に書類の数が増えた現在でも見事に整理できている。 押し出しファイリングの要点は次の通り。  手順1.A4古封筒の口を切っておく。  手順2.手元に届いた紙資料を封筒に入れ、端に日付とキーワードを書く。  手順3.一番右端に入れる。 これだけ。 ずぼらな自分としては手順が短いことが決定的で、これでいこう、と思った。 そして、並んだ封筒を日常的に整理していくため、さらに3つの手順がある。  手順4.必要な資料を封筒から出して作業したら、簡単な印をつけて右端に戻す。 これによって、不必要な封筒はどんどん左側に押し出されていく。 印は単なるチェック印でもいいし、日付でもよい。  手順5.棚が一杯になって封筒が入らなくなったら、左端の封筒は迷わず捨てる。 いくら勢いで生きている自分でも、「迷わず捨てる」の部分は躊躇してしまう。 なので、ちょっとだけ中身を確認して、よほどのことが無い限り「捨てる!」。 (じつは、このちょっとだけ中身の確認が、結構楽しい) 印がたくさん付いていくファイルは左端に来ることがなく、何度も同類資料が追加され、パンパンに太っていく。   (太ったファイルは何度も引っ張り出すので破れてます)    手順6.パンパンに太った封筒をフラットファイルに昇格させ、別の棚に移動する。 もちろん、フラットファイルが並ぶ棚も、押し出しファイリング形式である。 押し出しファイリングの効果を知ってからというもの、PCデータもすべて時系列になった。 ファイル名の頭に日付を打ち、内容が大幅に更新された場合は、日付を適宜更新している。 これで紙資料も、電子ファイルも、行方不明になることがほぼ無くなった。 そして、実は「名刺」も押し出しファイリングなのだ!(あいうえお別)     ただしこれは名刺を「捨てる」ためではなく、現状お付き合いの深い方が必ず右端にくるようにするためである。(名刺は捨てたりしません!) これで名刺をぱらぱらめくることもなくなりました。

パンツ泥棒

パンツ泥棒はとても不思議な犯罪だ。大人として、男性として、ヒトとして、最低の犯罪であるにも関わらず、そこに人間の実に生々しい「知恵と勇気」が見て取れる。以下は一考察。 知恵とは、見えない価値のことである。 勇気とは、見えない可能性を信じる意思のことである。 パンツ泥棒ほど、知恵と勇気を駆使した犯罪はない。 そもそもパンツ泥棒たち自身、深く考えたことはあるのだろうか。 自分たちがいったいどのような価値のために、大きすぎるリスクを冒しているのか。 その価値は逮捕投獄というリスクに見合うのか。 見合わなければ行動に移すわけはないので、そこには相応の価値を感じているはずだ。 しかしそれは本当にパンツなのか? たぶんパンツに関係していることは間違いないのだろう。 しかしおそらく、物質的なパンツが目的ではない、と思われる。 なぜなら誰もが指摘するとおり、パンツなら100円で売っているのだから。 では、パンツの使用履歴から想像できる妄想に価値を見出すのか。 そうだとして、はたしてそのイマジネーションはリスクと見合うものなのか。 そもそも、誰が使用していたのか分からないパンツを盗らなければできない妄想なのか。どうせ妄想するなら、100円で買ったパンツが使用済みであると妄想するところからはじめればよい。 しかしパンツ泥棒はパンツを盗り続ける。 なぜか。 ここであえて「パンツ」を忘れてみると、気が付くことがある。 つまり、盗る行為自体が目的になってしまっているのではないだろうか。 パンツを前提にするとどう考えてもリスクと見合わない。 しかし逆に盗る行為は、リスクが高まるほど、価値も高くなる。 たしかにパンツを盗りに行くまでは、パンツが目的だったに違いない。 しかしパンツを目の前にしたとき、目的の変換が起きるのではないか。 自分はこれを盗るだけの「知恵」があるのか。小さな可能性を試す「勇気」はあるのか。 それを試そうとする動物的な欲求が出るのは、狩猟本能を持つ男ならば自然なことだ。 目的はもはやパンツではない。パンツは自分の能力を試すための道具にすぎない。 脳は臨戦状態となり、アドレナリンやらなにやらが駆け巡る。 しかもスポーツのような容赦はない。 その極限の緊張状態が、さらなる盲目的な集中力を生み出す。潜在能...