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エネルギーの質、私たちの質

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【エネルギーの質】 理系文系問わず、学生から時々聞かれる質問に、「エネルギーは保存されるのに、なぜエネルギー問題の解決は難しいのでしょうか。」というのがある。エネルギー問題の難しさは経験的には実感できるものの、たしかにエネルギー保存則だけに照らすと理解できない。 しかしエネルギーは質を変えてしまう。しかもその時、一部がかならず質の低い熱エネルギーに変わってしまう。質の低いエネルギーになるほど、質の高いエネルギーは得にくくなり、永久機関は存在できない。これを熱力学第二法則と呼ぶ。 エネルギーを質の順で並べると、最も質の高いものが電気(電磁)エネルギー、次に力学的エネルギー、光子エネルギー、化学的エネルギー、そしてもっとも質の低いものが熱エネルギー。熱力学第二法則は別名「エントロピー増大の法則」とも呼ばれ、エネルギーの質の低下をエントロピー汚染と呼ぶ。 この話は、理系文系問わず、よく盛り上がる。なぜか。 それはこの話に、理系文系を問わないあらゆるセンスが詰まっているからだと思う。 【私たちの質】 そもそも理系離れとは、この話に込められている意味合いを感じる「文学的センス」を失っているからで、理系のセンスを失っているからではないような気がする。 たとえば、この話を突き詰めると、結末が不安になる。なぜならエネルギーの一部が延々と熱エネルギーに変換されつづけ、エントロピー汚染が続くのがこの宇宙の摂理だとすれば、いずれ迎えるのは死ではないか。実際これを「宇宙の熱的死」と呼ぶ。 しかし一部の物理学者は、膨張論で対抗する。実際にハッブル望遠鏡が捉えている通り、宇宙は膨張し続け、あたらしい天体が生まれ続けている。宇宙全体のエントロピーが増大しても、体積が膨張すれば、エントロピーは低下し、永遠に熱的死を迎えることはない。ここに、文学的な感動を覚える人は多い。 なぜならこの話はまるで我々自身だからだ。私たち一個の個体を見ると、生まれた時に持っていた多様な感覚、センス、感受性、可能性は、年を経るごとに減り続ける。舌の味蕾は実際に減り続けるし、感受性も鈍感になり、インスピレーションは生まれにくくなる。努力しなければ、体の多様性は失われ、エントロピーは増大し続け、その先に待つものは死である。 ところが、宇宙と同じく、やはり待っているのは死ではない。私た